砂金採取記録 丹波川流域①
5月〜7月にかけ数度に渡り丹波山村周辺を調査した。丹波川中流の河岸段丘上に広がる丹波山村の外れ、グリーンロードと名付けられた遊歩道沿いには戦国期から江戸時代にかけて、旧河床の岩盤上に集積した砂金を採掘した所謂「柴金」の採取遺跡が複数存在する。主な採取地点はこの遺跡の一角である源太川遺跡周辺の堆積地。
自分の拙いパンニング技術でも2,3時間程度で十分な数のサンプルを得ることが出来たことからも、丹波山金山遺跡の優秀さが伺える。写真では判別し難いが、ある程度摩耗し球状を示す砂金粒が多い一方で幾つかの粒には結晶の名残が見られることから、供給地が一か所に限られず複数存在することが示唆される。
主な供給地は舟越、黒川、竜喰、牛王院平などの各金山と思われる。
丹波川周囲の幾つかの沢でも採取を試みたが然したる成果は無し。舟越金山直下の沢は行程中に滑落したため未調査である。
産地別標本集④ 喜入鉱山
鹿児島県鹿児島市喜入中名町に位置する喜入鉱山は1918年に発見され、22年から金山整備令が発令される43年まで本ヒおよび山神ヒを採掘した後、戦後52年から3、4号坑を開坑し56年まで稼坑された金鉱山。トン当たり金品位はおおよそ10グラム弱だったらしい。
以下の産総研のpdfが詳しい。
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_15094_1964_D.pdf
標本は酸化帯の石英に武石を伴う自然金が付くもの。
産地別標本集② 菱刈鉱山
菱刈鉱山は産金量日本一を誇り、現在でも日本で稼動している唯一の金鉱山。鉱床の生成年代は第四期100万年前とかなり新しく、この鉱山の発見は鉱脈型金鉱床の生成年代を第三期中期以降としていた従来の学説を覆した。
僅か12年で数百年来の佐渡金山の産金量を追い抜いたということからもその鉱床の優秀ぶりが伺える。
画像は菱刈鉱山本山坑、本鉱床 芳泉第2脈 47.5mLで1993年に採取された鉱石。
銀黒部に隣接する赤茶色の粘土鉱物にルーペサイズのエレクトラムを多数伴う。
東京工業大学博物館に展示されていた山田坑の金銀鉱も同じように銀黒の周辺に赤茶色に鉱染された粘土鉱物(or石英?)を伴っているのは何か関係があるのだろうか。
一方こちらは鉱床不詳の菱刈鉱山産自然金
斑点状に付いた銀黒に伴うものだが大きさはルーペでやっと光点が見える程度とあまりに小さく携帯カメラでは撮影できなかった。
いつか甘茶鉱物記載室に挙げられているような素晴らしいトジ金を手に入れてみたい物である。
同じ山田坑でも東工大標本に比べてこの切断標本は細粒緻密で鉱染や粘土鉱物が全く見られない。殆どビリ𨫤と言っていい標本だがそれにしてもここまでの差が出る要因は気になるところである。
*6/13日追記
月初めの某標本市での収穫品。脈名不詳。菱刈にしては硫化物が多い気もするが、顕微鏡で覗くとスライスによって薄く引き伸ばされたエレクトラムが観察出来る。
産地別標本集① 串木野鉱山
1655年以来300年以上に渡って採掘され続けた串木野鉱山は菱刈・佐渡・鴻の舞に継いで日本第4位、56トンの産金量を誇ったという。1994年に閉山したようだが、数年前採掘再開の報を聞いた覚えあり。廃坑がワインの醸造に使われたりもしてるらしい。
串木野鉱山一号ヒ(西山坑)の銀黒。一号ヒは串木野のチャンピオン脈。ルーペで拡大すると微細なエレクトラムが見える。石英と方解石の境界部に沈殿した典型例。
串木野では他に白色粘土鉱物が金を含むオシロイ鉱と呼ばれるタイプの鉱石もあるらしい。
一方こちらは荒川4号ヒ L6 W-161付近産出の銀黒。輝銀鉱、濃紅銀鉱を主とする物で、一号ヒの物に比べて細粒緻密で銀黒中では個々の鉱物は殆ど識別出来ないが縁に少量の黄銅鉱を伴うようだ。
他に幾つかある荒川坑の銀黒も同じように緻密なのは生成温度とかが関わってるのかな。
お初edit
山金・砂金を扱う雑記です。とは言ったものの砂金はまだ入門すらしていないんですけどね。初掘りは秋川を予定中。