法学部生の標本箱

ド文系が行く金山・砂金産地巡り

採集日誌③ 都留鉱山

 10月も終盤になり本業の登山も落ち着いてきたので6度目の都留鉱山に行ってきた。都留鉱山は大月駅から浅利川を上流へ約4km、徒歩約1時間に位置する金山で、戦後間も無く閉山したそうな。又の名を賑岡鉱山、或いは大月鉱山とも言う。古くは信玄時代に掘ったという記録もあるそうだが、どうも戦後観光鉱山として営業していた時代があったようで信用に足る資料とは言えない気がする。

 地質は北約1kmに甲府花崗岩の貫入があり、鉱山周辺は弱変質を受けた粘板岩や千枚岩、上方が砂岩になっている。鉱脈はこの粘板岩中に入る含金石英脈で脈幅は平均で10cm程と細く、膨大した部分でも20cm程度だったという。坑道は大小10あり、このうち5は確認済み。開発初期は右岸の通洞や五、六号坑を主に採掘し、昭和に入ってから左岸の昭和坑を大規模に掘ったようで、採掘量は昭和に入ってから激増している。品位は富鉱で96g/tに達したとされるが、平均では14.7gとあまり高くない。典型的な老脈と言える。

 さてこの鉱山には上述の通り今迄5度突っ込み全て敗退している。浅利川は川幅の割に入渓しにくい沢で、特に下流では30mはあろうかという大滝やゴルジュだらけの険悪な渓相を成す。鉱山周辺ではなんとか入渓出来るものの坑口は河岸のはるか崖上にあり落ちればまずお陀仏といったところ。沢周りにも石英塊は山ほどあるがどうも品位は高く無いようで、黄鉄鉱も着かないような不毛石英ばかりである。パンニングも芳しくなく、砂金は数km下流に行かないとほぼ取れない。千枚岩の割れ目に引っかかった土砂を何度も篩ってようやく粉が数粒といった程度。本当に金を掘っていたのかと疑いたくなるレベルである。

 正直半分諦めかけていたが、探索していない坑道が残っていたので散々迷った挙句に行くことに決めた。坑道は上下二つ、近代に入ってから掘られたもので、一個は沢側に排水管?が伸びている。バルブはかなり新しく、勢い良い水音が聞こえてくる。誰かがまだ管理してるのかな?周辺設備や採掘規模から見てほぼ試掘坑といっていいと思う。

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坑内にはかなり傾斜した2cmほどの石英脈が見える。周りには粘板岩の破片からなるズリが散乱しており、そのうちには石英脈を含むものも多かったので幾つかを持ち帰った。

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盤際、粘板岩が剥がれて石英が露出したところの鉄錆に伴って箔状の自然金が着く。大きさは0.5mm程とかなり小さい。

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同じく剥離部に鉄錆に伴う金が着く。本当に顕微鏡レベル。

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鉄錆に伴って褐色になるので濡らさないと輝かない。さらに粒がとにかく小さいので確認に苦労する。サンプル程度に確保できたので満足ではある。